セブ島情報

第二次世界大戦時に激戦区となったコレヒドール島に訪れた。

2019年04月18日 By: SHIN


コレヒドール島(Corregidor)はマニラ湾にあるおたまじゃくしの形をした小島。

世界三大夕日で有名なマニラ湾にあり、マニラより対岸のバターンに近くにあります。
とてものどかに思えるこの島は、第二次世界大戦時には激戦区となりました。それはその島の位置に関係します。

もともとこの島はスペイン統治時代には、マニラ湾に出入りする船の検問所として利用されていました。この島のコレヒドールという由来もスペイン語の「検査」という意味らしく、それらを可能にするのが、この島の立地でした。
第二次世界大戦勃発後には、海からの攻撃に対する要所としてアメリカ軍の基地が設営されました。コレヒドール島で行われた激戦では多数の命が失われました。これは日本軍のみならず、アメリカやフィリピンの軍にも同じことが言えます。そんな歴史の傷跡の残る島では、貴重な砲台や建築物が大切に保存され、歴史の証人として現在もその戦いの激しさを物語っています。

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その中でも一番遠方に届いたと言われる大砲がこれ。

砲身だけで重さ56トンあるらしく、隣に置かれている予備の砲身すら今はうご書くことができないそうです。

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今回はマニラからのツアーに参加しました。

マニラ湾にあるフェリー乗り場を7:30に出発して約2時間でコレヒドール島に到着します。

この日は天気も良く、海も穏やかとても快適な船の旅でした。

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コレヒドールに到着するとすでにバスが待機しており、マニラ湾のフェリー乗り場で6:30に始まるテェックイン時にはすでにバスの番号が決められており、我々は8号車へと乗り込みます。

このバスには我々の他に7名の日本人の方がおり、合計9名でのツアーとなりました。

日本語が話せるガイドが付いて様々な説明をしてくれます。
70歳を超えたおじいさんで日本語は上手じゃないと仰ってましたが、説明としては十分問題なく聞き取れます。そんなガイドさんが冗談交じりに案内をしてくれます。

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こちら世界最長だと言われている兵宿舎跡。
残念ながら、戦時中の昼夜を問わない爆撃のために焼け落ちてしまいました。
ちなみにこれら建物のセメントは、アメリカ製ではなく日本製だそうです。
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島内にはいくつもの防空壕や弾痕があり、当時の激しい戦闘が伺えます。

このマリンタトンネルもその一つ。

当時の爆撃や日本占領後の爆弾により破壊にも耐え、破壊することが出来なかったほど強固な作りとなっています。
現在では、老朽化のため改修工事を繰り返しながら、展示場としてショーのように観光客にコレヒドールの歴史を伝える役目を担っています。

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ちょっとネタバレですが、トンネルの中ではいくつもの横穴があり、それらを利用した展示場となり写真のように様々な状況を音声(70%が英語)とともに説明してくれます。
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そして、昼食の時間には美味しいフィリピン料理のブッフェが待っています。
昼食の時間には大きな会場に複数台のバスのお客さんが集まりますが、バス乗車中は他のバスと鉢会うことが少なく、うまく構成されていてストレスに感じることがなかったです。
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昼食の後には、太平洋戦争記念博物館とこの島で一番大きな大砲を見学して14:30頃にコレヒドール島から出航し、マニラ到着は約16:30頃でこのツアーは終了します。

正直、この流れでストレスを感じることなくスムーズに進行しました。

第二次世界大戦で多くの激戦区であったフィリピンでは戦争の爪痕を残す場所が多く存在します。
コレヒドールではその歴史をわかりやすく理解できるように工夫されています。

フィリピン人のみならず、日本人、アメリカ人、またその他の国の多くの人々が犠牲になった忘れてはならない繰り返してはならない戦争の歴史を辿れるいい機会となりました。

今回参加したツアーはこちら

(SHIN)