セブ島情報

フィリピン紙幣の旅 [500ペソ紙幣編] フィリピン紙幣に描かれている歴史的英雄と風景

2021年03月15日 By: SHIN


さて、皆さんはフィリピンのお金についてどこまでご存知でしょうか。 [500ペソ紙幣編]

フィリピン旅行の際には、日本円からフィリピンペソに両替することも多く、フィリピンペソの紙幣や硬貨を目にした方も多いでしょう。
では、その紙幣に絵描かれている人物は誰なのか、紙幣に描かれている場所はどこなのか知っていますか?

ご存知の通り、単位はフィリピン・ペソ( P )。補助通貨はセンタボ( ¢ )。
1ペソは100センタボ。
紙幣の種類にはP1,000、P500、P200、P100、P50、P20 の6種類。
硬貨の種類はP10、P5、P1、¢25、¢10、¢5、¢1の7種類となっています。

今回は500ペソ紙幣に描かれている歴史的人物と風景について共有したいと思います。

 

現在のフィリピン紙幣の歴史

2009年、フィリピン中央銀行/ BSP / Bangko Sentral ng Pilipinasは、セキュリティ機能をさらに強化し、耐久性を向上させるために、紙幣と硬貨の大規模な再設計を開始したと発表しました。 numismatic委員会のメンバーには、Bangko中央副知事Diwa Guinigundoと国立歴史研究所のDr. Ambeth Ocampo会長が含まれます。
新しい紙幣のデザインは、有名なフィリピン人と象徴的な自然の驚異を備えています。フィリピンの国のシンボルは硬貨に描かれます。
新しいデザインシリーズから新世代の通貨シリーズへのスムーズな移行を提供するために、フィリピン中央銀行はサイズ、主な色、NGC (新紙幣/ New Generation Currency)の主なパーソナリティなどのNDS (旧紙幣/ Old Banknote Series)機能を保持しましたが、コラソンアキノ大統領の肖像画は例外で500ペソ紙幣には新しく肖像画を追加。
その後、フィリピン中央銀行は2010年12月16日に新しい紙幣の最初のバッチのリリースを開始しました。新紙幣は2014年まで旧紙幣と共存し、フィリピン中央銀行は最新の偽造防止セキュリティ機能を備えた新紙幣を印刷および生成する機能を構築しています。世界中でベンチマークされた高度なテクノロジーを通じて組み込まれました。色はデザインで重要な役割を果たし、数値、シール、紙幣の縁などの重要な要素を際立たせています。
前面に大きな凹版印刷の数字が含まれていることにより、各単位が区別され、視覚障害者を支援します。

 

500ペソ紙幣 Php 500

表面

人物:ベニグノ・アキノ・ジュニアとコラソン・アキノ / Corazon C. Aquino & Benigno S. Aquino, Jr.

ベニグノ・シメオン・“ニノイ” アキノ・ジュニア(英語: Benigno Simeon “Ninoy” Aquino, Jr., 1932年11月27日 – 1983年8月21日)。

1961年ターラック州知事、1967年35歳で上院議員に当選。これは、現代に至るまで、フィリピン史上最年少での上院議員当選の記録として、いまだ破られていない。1949年 – 1954年大統領国防省顧問。
通称が「ニノイ」であったため、一般的にニノイ・アキノと呼ばれている。

1972年フェルディナンド・マルコス大統領がフィリピン全土に戒厳令を発令し、反政府側の危険人物とされたニノイは「政府転覆の陰謀と武器の不法所持、及び殺人」の容疑で逮捕された。ニノイは1977年に死刑を宣告されたが、国民に人気のあるニノイを処刑することはできず、マルコスは1980年に「アメリカ合衆国で手術を受けさせる」という名目で、ニノイをフィリピン共和国から追放した。

アメリカでの収監中から、ニノイは非暴力主義を掲げマルコス政権を批判しながらも、国民に対しては決して暴力に訴えないよう常に求めていた。

後にある大統領選出馬のためフィリピン帰国を決意したニノイは、1983年8月21日フィリピン軍の兵士たちが厳重に警戒にあたっていたマニラ国際空港に、台北空港から乗ってきた中華航空機で到着した。ニノイは兵士と伴にボーディングブリッジ側のタラップを降りると、10秒後に頭を撃たれて即死した。

ニノイの死をきっかけにエドサ革命が勃発し、これによりマルコス政権は崩壊、ベニグノの妻コラソン・アキノ(通称:コリー)がフィリピン大統領に就任した。

1987年ニノイの妻コラソンアキノが大統領在任中、ニノイに敬意を表してマニラ国際空港から「ニノイ・アキノ国際空港 / Ninoy Aquino International Airport」に名称変更されました。

http://www.philippine-history.org/presidents.htm

“コニー” コラソン・アキノ(Corazón Aquino, 1933年1月25日 – 2009年8月1日)。フィリピン共和国第11代大統領(任期 1986年2月25日 – 1992年6月29日)。上院議長の夫 (ニノイ) ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺後、フェルディナンド・マルコス政権に対抗、勝利した。

1983年8月21日にマルコス独裁打倒のためアメリカから帰国したところマニラ国際空港で暗殺され、これを機に、妻コラソン・アキノが急速に反マルコス独裁の象徴となっていった。

1986年2月の繰り上げ大統領選挙では、コラソン・アキノへ100万人の署名が集まり、大統領選出馬を決意する。

大統領選挙での開票には、マルコスもアキノも勝利宣言をするが、マルコス陣営の得票不正操作が判明し、フアン・ポンセ・エンリレ国防相やフィデル・ラモス参謀長ら国軍改革派が決起し、結果100万の市民がこれを支持してEDSA大通りを埋め尽くしたため、マルコスは権力を失い、2月25日にコラソン・アキノが大統領就任を宣言。

1986年2月22日のフィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日のアキノ政権樹立に至るまでの革命を「エドサ革命」またはピープル・パワー革命と言われ、毎年2月25日は国民の祝日 (EDSA People Power Revolution Anniversary) となっています。

 

情景:エドサ革命 / EDSA People Power I

1965年の就任からから1986年まで20年以上の在任をした第10代フェルディナンド・マルコス大統領。しかしこの長い在任期間で政治は私物化され腐敗し、国家の危機的な財政難の中、マルコス大統領と妻イメルダ大統領夫人の散財や一族の汚職などに非難が集まっていました。そこでマルコス大統領の不正を暴き、フィリピン政府立て直しのための活動をしていたベニグノ・アキノ上院議員を白昼堂々のマニラ空港での射殺事件をきっかけに、マルコス大統領の不正・腐敗政治などへの国民の不満が爆発し、反マルコスの運動はフィリピン全土に広がりました。

1986年の大統領選のマルコス陣営の不正から始まったエドサ革命の情景が描かれています。

 

建物:ニノイ・アキノ記念碑 / Benigno Aquino monument in Makati City

メトロマニラ マカティ市アヤラアベニュー (Ayala Avenue) とパセオ・デ・ロハス (Paseo de Roxas)の交わるところに建つニノイ・アキノ記念碑が描かれています。

 

裏面

風景:パラワン島プエルトプリンセサにある世界遺産サブテレーニアン・リバー国立公園 / Subterranean Underground River in Puerto Princesa, Palawan

世界最高の島2020に選出されたパラワン島は、「フィリピン最後の秘境」や「フィリピン最後のフロンティア」と言われ、フィリピンの中でも綺麗な海や空、手つかずの自然が残るエリアとして有名です。北西を南シナ海、南東をスールー海に面し、ミンドロ島とボルネオ島(マレーシア)の間にまたがる、南北の長さ397km・東西の幅の平均約40kmと極端に長細い島である。ルソン島、ミンダナオ島、サマール島、ネグロス島に次ぐフィリピンで5番目に大きな面積(11,785km2)の島で、パラワン州に属します。主な都市は、島の中央部にあるプエルト・プリンセサ。

そのパラワン島の州都プエルト・プリンセサにあるプエルトプリンセサ空港から北へ直線距離50kmほど、車で1時間30分から2時間程度のサバン(Sabang)を拠点とした場所に位置する。プエルト・プリンセサ地下川国立公園は、鍾乳洞内に流れる地下川を保護する目的で指定された国立公園。2011年には新世界七不思議自然版に選ばれるほどの不思議な光景が広がる。サバンに宿泊するほか、プエルトプリンセサ市内から出発するツアーがメインとなり、エルニドからもチャーターなどで参加が可能。

 

動物:コオオハナインコモドキ / Tanygnathus lucionensis, Blue-Naped Parrot

コオオハナインコモドキ(Blue-Naped Parrot/ Tanygnathus lucionensis)は、青い冠を被ったような緑のオウムで、ルソンオウム、フィリピン緑オウムとしても言われており、現地ではPikoyとしても知られており、フィリピン特有種のオウムです。

 

織物:フィリピン南部の布地デザイン / Southern Philippines cloth design

フィリピン南部の布地デザインが描かれています。

 

まとめ

私個人としては、エドサ革命の発端となった、ニノイアキノ射殺事件。このニュースは当時日本でもリアルタイムで放送されており、その内容に衝撃を受けたことを覚えています。
その後にマニラ空港の名称がニノイアキノ空港に改称され、毎年2月25日は「エドサ革命の日」として国民の祝日となり、今でも多くの人がこの革命を称えます。
以後、不正を許さない政治が好まれ、その手法の是非は別として現在のロドリゴ・ドゥテルテ第16代大統領も腐敗と犯罪を徹底的に排除しています。またドゥテルテ大統領以外にも、不正を徹底的に正すイスコ・モレノ マニラ市長など、クリーンな政治家が人気のようです。

この他にもフィリピンという国にとって、またフィリピン人にとっての英雄が存在します。英雄たちの偉業やそれに感銘を受けた人々の言動などを知った上で、いろんなところに訪れると、より感慨深いものになります。そしてフィリピンには美しい場所が本当にいくつもあります。

フィリピン旅行の際には少しだけフィリピンの歴史と地理の勉強すれば、その時間以上に楽しいものになるのでおすすめです。

 

The images of banknotes on this page are provided by Bangkok Sentral ng Pilipinas.
http://www.bsp.gov.ph

The images on this page are also provided by: https://www.philippine-history.org/presidents.htm

 

 

(SHIN)