セブ島情報

フィリピン紙幣の旅 [1000ペソ紙幣編] フィリピン紙幣に描かれている歴史的英雄と風景

2021年03月22日 By: SHIN


さて、皆さんはフィリピンのお金についてどこまでご存知でしょうか。 [1000ペソ紙幣編]

フィリピン旅行の際には、日本円からフィリピンペソに両替することも多く、フィリピンペソの紙幣や硬貨を目にした方も多いでしょう。
では、その紙幣に絵描かれている人物は誰なのか、紙幣に描かれている場所はどこなのか知っていますか?

ご存知の通り、単位はフィリピン・ペソ( P )。補助通貨はセンタボ( ¢ )。
1ペソは100センタボ。
紙幣の種類にはP1,000、P500、P200、P100、P50、P20 の6種類。
硬貨の種類はP10、P5、P1、¢25、¢10、¢5、¢1の7種類となっています。

今回は1,000ペソ紙幣に描かれている歴史的人物と風景について共有したいと思います。

 

現在のフィリピン紙幣の歴史

2009年、フィリピン中央銀行/ BSP / Bangko Sentral ng Pilipinasは、セキュリティ機能をさらに強化し、耐久性を向上させるために、紙幣と硬貨の大規模な再設計を開始したと発表しました。 numismatic委員会のメンバーには、Bangko中央副知事Diwa Guinigundoと国立歴史研究所のDr. Ambeth Ocampo会長が含まれます。
新しい紙幣のデザインは、有名なフィリピン人と象徴的な自然の驚異を備えています。フィリピンの国のシンボルは硬貨に描かれます。
新しいデザインシリーズから新世代の通貨シリーズへのスムーズな移行を提供するために、フィリピン中央銀行はサイズ、主な色、NGC (新紙幣/ New Generation Currency)の主なパーソナリティなどのNDS (旧紙幣/ Old Banknote Series)機能を保持しましたが、コラソンアキノ大統領の肖像画は例外で500ペソ紙幣には新しく肖像画を追加。
その後、フィリピン中央銀行は2010年12月16日に新しい紙幣の最初のバッチのリリースを開始しました。新紙幣は2014年まで旧紙幣と共存し、フィリピン中央銀行は最新の偽造防止セキュリティ機能を備えた新紙幣を印刷および生成する機能を構築しています。世界中でベンチマークされた高度なテクノロジーを通じて組み込まれました。色はデザインで重要な役割を果たし、数値、シール、紙幣の縁などの重要な要素を際立たせています。
前面に大きな凹版印刷の数字が含まれていることにより、各単位が区別され、視覚障害者を支援します。

 

1,000ペソ紙幣 Php 1,000

表面

人物:ホセ・アバド・サントス、ヴィセンテ・リム、ホセファ・ラーンズ・エスコダ / José Abad Santos, Vicente Lim & Josefa Llanes Escoda

ホセ・アバド・サントス(José Abad Santos, 1886年2月10日 – 1942年5月2日)は、1941年12月24日よりフィリピン独立準備政府(コモンウェルス)の最高裁判所長官、日本軍侵攻時には非占領地域大統領代行を務めた。

最高裁判所長官就任時に日本軍がフィリピンへの侵攻を開始。アバド・サントスは、独立準備政府大統領のマニュエル・ケソン、アメリカ極東軍司令官ダグラス・マッカーサーらと共に、コレヒドール島要塞に籠城する。バターン半島の戦いで米比軍は日本軍に敗れ、ケソン大統領とマッカーサーは1942年3月にコレヒドール島要塞を放棄しオーストラリアに脱出。この時アバド・サントスもマッカーサーに同伴して脱出することも可能だったが、フィリピン残留を決意。脱出するケソン大統領より、非占領地域の「フィリピン大統領代行」に任命され、後を託された。

アバド・サントスはセブ島に逃れ抗戦を試みるが、1942年4月12日に息子のペピトと共に日本軍に捕縛された。日本軍政への協力を求められたが拒否。ミンダナオ島の南ラナオ州に連行され、同年5月2日、日本軍により銃殺刑に処せられた。

 

ヴィセンテ・リム (Vicente Lim, 1888年2月24日-1944年12月31日) は、フィリピンの准将と第二次世界大戦の英雄。 リムは、ウェストポイントにあるアメリカ陸軍士官学校(1914年のクラス)の最初のフィリピン人卒業生でした。 フィリピン陸軍が設立される前は、フィリピンスカウト(現在は米軍の無党派)の将校を務めていました。 バターンの戦いの間、リムは第41歩兵師団、フィリピン軍(USAFFE)の指揮官を務めました。 フィリピンの陥落後、彼は彼の捕獲とその後の処刑までフィリピンの抵抗運動に貢献しました。

彼の愛国心が芽生えたのがフィリピン・アメリカ戦争 (米比戦争)時と言われており、その頃は当時のMiguel Malvar将軍のもとカランバで同年代の少年たちをまとめていたと言われている。

ロハス通り沿いのフィリピン文化センターの向かいには、ヴィセンテ大将の彫像と、次の言葉が謳われた石碑があります。「We are born to live a life which is valuable only if we live it unselfishly, not for our own gratification, nor for that of our family – but for our country. Men should not fear death, but dishonor and defeat. There is nothing more beautiful than to live and die for the defense of one’s country against a common enemy. There is nothing meaner and more vile than to yield to that enemy without fighting to the last ditch. – Vicente Lim, March 20, 1941 / 我々は祖国のため利他的に生きる価値ある人生を送るために生まれてきました。それは自分や自分の家族の満足のためだけではありません。男は死を恐れるべきではなく、不名誉と敗北を恐れるべきです。 敵からの祖国の防衛のために生き、そして死ぬことほど美しいものはありません。 最後まで戦わずして敵に屈するほど卑劣極まるものはありません。 ヴィセンテ・リム 1941年3月20日」。これはUP ROTC (フィリピン大学ディリマン予備役訓練隊) の卒業生の演習で大将が彼らに与えたスピーチからの引用です。

 

https://girlscouts.org.ph/

ホセファ・ラーンズ・エスコダ(Josefa Llanes Escoda, 1898年9月20日〜1945年1月6日)は、市民の著名なリーダーであり、ソーシャルワーカーでした。 彼女は女性参政権のフィリピンの擁護者としてよく知られており、フィリピンのガールスカウトの創設者です。

太平洋戦争当時、日本軍がフィリピンへの侵攻をさらに深めるにつれ、夫婦はフィリピン人の捕虜と強制収容所のアメリカ人抑留者の両方に医薬品、食料、衣服、メッセージを供給する活動を強化しました。

それらの行為は抗日行為とみなされ、夫のアントニオは1944年6月に先に逮捕され、ホセファ・ラーンズ・エスコダも2か月後の8月27日に逮捕されました。彼女は夫と同じ刑務所であるサンチャゴ要塞に投獄され、1944年に夫アントニオは一緒に投獄されたヴィセンテ・リム将軍とともに処刑されました。1945年1月6日、ホセファ・ラーンズ・エスコダは、日本軍が占領したファー・イースタン大学 (Far Eastern University) の建物の1つに収容されました。
1945年1月6日に日本の護送車で移送されるところが最後の目撃情報とされており、その時まで生きていたことが確認されていますが、激しく殴打され体力は弱っていたようです。
その後、彼女は処刑されthe La Loma Cemetery または Manila Chinese Cemeteryに埋葬されたと推定されています。

 

情景:フィリピン独立100周年記念式典の様子 / A scene from the Centennial celebration of Philippine independence

1998年はフィリピン独立100周年でした。1898年6月12日、フィリピン共和国の初代大統領、エミリオ・アギナルド将軍がカビテのカウィットにある彼の自宅で、スペインの統治からのフィリピン国家独立宣言をしました。

フィリピン独立100周年は国を挙げて盛大に行われ、式典はメトロマニラ マニラ市で開催されました。その際に行われたフィリピン独立100周年記念式典の様子が描かれています。

 

裏面

風景:スールー海にある世界遺産トゥバタハ岩礁海中公園 / Tubbataha Reefs Natural Park in Sulu Sea

トゥバタハ岩礁海中公園は、1993年にフィリピンではじめてユネスコの世界遺産 (自然遺産)に登録され、パラワン島東側のスールー海に位置します。
ここはパラワン島の東の岩礁と珊瑚礁を保護する目的で設置された海中公園で、2009年には登録範囲を拡大し、トゥバタハ岩礁自然公園となった。現在の海中公園面積は130,028 ヘクタール (約1,300km²)にも及びます。
トゥバタハ岩礁海中公園は、2つの岩礁と大きな珊瑚礁からなる。珊瑚礁は、東南アジア最大ともいわれ、カツオドリや、海亀など海洋動植物の宝庫でもある。
しかしながら、ダイナマイトを使用した漁法が行われているため、珊瑚礁への破壊の懸念から環境保全対策が急がれています。

 

動物:シロチョウガイと南洋真珠 / Pinctada maxima, South Sea Pearl

南洋真珠 (フィリピンパール/ South Sea Pearl, Philippine pearl) は、フィリピン第12代大統領フィデル・ラモスより、1996年にフィリピンの国の宝石 (National Gem) と定められました。
シロチョウガイは、アコヤガイ属の二枚貝で真珠母貝の一つ。最も大きな種で最大直径30cmほどまで育つ。南洋真珠を作るために重要な種とされています。

 

織物:ミンダナオ地方のティナラック (イカット染めアバカ) のデザイン / Mindanao design for Tinalak (Ikat-dyed abaca)

フィリピンの南コタバトの伝統で、アバカ繊維で織られています。この伝統的な織物は、赤、黒、およびアバカの葉の原色の3つ色を伝統的に使っているアバカ繊維で作られた手織りです。

 

まとめ

改めて1,000ペソ紙幣に描かれた3名が、第二次世界大戦時に日本軍への抵抗が原因で処刑され「抗日の英雄」となり現在の紙幣にも描かれているということが衝撃でした。もちろん、第二次世界大戦当時は、日本軍とアメリカ・フィリピン連合軍の攻防が激しく、フィリピンには激戦区が数多くあり、日本人、フィリピン人、アメリカ人など多くの犠牲者が出たことは知っており、多くの激戦区跡地を巡り国籍問わず先人たちへの慰霊と反省、また現在の平和への心を手向けてきました。

この他にもフィリピンという国にとって、またフィリピン人にとっての英雄が存在します。英雄たちの偉業やそれに感銘を受けた人々の言動などを知った上で、いろんなところに訪れると、より感慨深いものになります。そしてフィリピンには美しい場所が本当にいくつもあります。

フィリピン旅行の際には少しだけフィリピンの歴史と地理の勉強すれば、その時間以上に楽しいものになるのでおすすめです。

 

The images of banknotes on this page are provided by Bangkok Sentral ng Pilipinas.
http://www.bsp.gov.ph

The images on this page are also provided by: https://www.philippine-history.org/presidents.htm / https://commons.wikimedia.org / https://girlscouts.org.ph/

 

(SHIN)