フィリピンの視点から戦争の歴史を感じよう!;コレヒドール島
フィリピンと日本の戦争の歴史を物語る島、コレヒドール島。激戦の爪痕が今なお残されております。スペイン統治時代、コレヒドール島では検問所がおかれマニラ湾に入る船の検査が行われていました。米西戦争後、フィリピンの統治がアメリカに代わると、アメリカ軍は島に大砲を設置し、マニラを守る軍事的拠点として機能していきます。
そして第二次世界大戦、日本とフィリピンの歴史がコレヒドール島で重なります。1941年、日本軍のフィリピンへの侵攻が始まり、翌年には支配下に置かれます。その際、約6万発もの爆弾がコレヒドール島に打ち込まれ、島は一面焼け野原となりました。1945年、アメリカ軍がフィリピン奪還に動き出すとコレヒドール島は再び最激戦地となり、何千もの日本兵の命が失われました。これは日本軍のみならず、アメリカやフィリピンの軍にも同じことが言えます。
フィリピン人には好意的に受け入れられている私たち日本人も、歴史の中で多くの被害や傷跡を残してきました。これらの事実を深く感じさせてくれるコレヒドール島。そんな歴史の傷跡の残る島では、貴重な砲台や建築物が大切に保存され、歴史の証人として現在もその戦いの激しさを物語っており、日本の軍艦島のような場所や、1トンを超える弾頭など、様々な学びのある島です。マニラ観光の一つとしてこれまで年配の方々の訪問が多かったものの、近年は平和に対する関心の高まりから、若い世代の方々の訪問も目立つようになりました。学校の教科書では教えてくれない戦争の悲惨さや生々しさ、命の大切さを肌で感じ学ぶことができるコレヒドール島への訪問は貴重な体験となることでしょう。是非一度は訪れて欲しい場所です。
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